映画のほか、執筆業全般お引き受けします。 ご依頼、試写、献本など、こちらのメールアドレスかお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。
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本稿ではまったく触れられていないタイのクィア映画の潮流について関心のある方は、児玉美月の論考「タイ “クィア映画” 天文図の素描」(『ユリイカ』2022年3月号、197-210頁。)をぜひお読みいただきたい。
福冨渉さん | 「タイBL考現学」
児玉さんのレビューは本当に良かったのでぜひ読んでほしい。児玉さんのレビューで好きなところは、映画執筆家ならではと言うべきか、他の作品の表象も含めた批評となっていてるところで、読むたびに、言及されている作品を見てみたいなと思ったり、「うん、そうそう」と頷いたり、「たしかにそうかも!」と新しい発見をしたりする。児玉さんの文章やコメントが載るパンフレットでは、これをいつも楽しみにしている。今回の場合は『あのこは貴族』が気になった。劇中で言うと、佳純と真帆のシスターフッドの描写について言及したところである。また、Aロマ当事者のそばにいる者として疑問に思うところはあるものの、この映画を見てみんなに勧めたいと思うのがなぜなのか、この文章によくまとまっている。
じゅごんさん | 映画『そばかす』を見て思ったことあれこれ
そばかすのパンフレットで、児玉美月さんのレビューは、私の日常にも響いて思わず涙が出るぐらい、とても素晴らしい言葉で綴られています。そのレビューで、スタートラインと表現されていて、恋せぬふたりを見た時から、映画という別の形式に道が増えたことで、より一層スタートしたばかりなんだと思いました。
はむられんさん | とまどい
まず、導入のセリーヌ・シアマ監督と児玉美月さんの対談。これを読んだ後では、監督の名前より先に作品名を口に出せなくなる。「燃ゆる女の肖像」が突如映画業界にもたらされた訳ではなく、セリーヌ・シアマという「女性」であり「レズビアン」であり「作家」であり「監督」の、15年の歩みがあってこそ。彼女が意識するその社会的責務を全うせんとする覚悟と強い意志の結実であることが分かる。 . 最後は、再び児玉美月さんの主要作品の解題で終わる。作品群と共に監督の歴史を辿りながら、それぞれが彼女以外の世界のどの作品と共鳴し、その中でどのような光を放っているかが纏められている。「燃ゆる女の肖像」における「女の眼差しの長さ」の重要性と「#ジャンヌディエルマンブリュッセル1080コメルス河畔通り23番地 」の重なり、世代を超えて女性作家達のバトンが可視化されていく。また、端的な総括に収まらず綿密な文章によってあのシーンやこのシーンが随所に浮かび上がる。個人的に先日鑑賞したばかりの「#スペンサー 」を引用としたシーンそして言葉がとても鮮やかに蘇った。15年の歳月を経て監督の内外で"革命"は起こったが、最新作に至るまで全てがどこか第1作目「水の中のつぼみ」の延長線上であると感じている。セリーヌシアマ監督は、現時点で決して多くを撮っている訳ではないのにここまで作家性と価値を自他共に見出されている。まだまだ彼女のフィルモグラフィの序章であり、これからも創造され続けることを大きく期待してしまう。そしてこの特集の第二弾を早く読みたい。願わくば、再び児玉美月さんとの再会対談で始まってほしい。
yodyody0623さん | 「ユリイカ 特集=セリーヌ・シアマ」"革命家"の爪痕、足跡
わたしが今まで目にしてきた映画パンフレットで主観的に感じたのは、賛辞的な評論や分析を多く目にしてきた(もちろん、それが映画パンフの魅力でもある)が、客観的・批判的な視点の評論や分析のパンフレットを見たのは、「リトル・ガール」のパンフレットが初めてである。児玉さんや佐々木さんの論考は、一読の価値が高い。
植月のぞみさん | 映画「リトル・ガール」――映画論考と合わせて成立するドキュメンタリー映画
「百合映画」という言葉に従い多くの評で百合という言葉が乱れ交う一方で、たとえば児玉美月氏による評ではつねにレズビアンの語が用いられ、百合という言葉はほとんど使用されず、その語りにおいてレズビアン映画をめぐる歴史的な蓄積が重視される。こうした箇所だけを抜き出せば、竹村和子のような理論派のレズビアニズム論に連なる映画評論本を作り出せるだろうし、別の箇所を抜き出せば映画のカットに関する本としても成立するだろう。
近藤銀河さん | 『「百合映画」完全ガイド』書評 革命のための複数で安全じゃない危険で転覆的な百合の語り方 そして残念ながら全てを台無しにするほんの一文
石原の『菫色の映画祭』以降、日本語で書かれたレズビアン映画、ゲイ映画、トランスジェンダー映画、クィア映画に特化した論集は『虹の彼方に―─レズビアン・ゲイ・クィア映画を読む』(出雲まろう編、2005年、パンドラ)と『「百合映画」完全ガイド』(ふぢのやまい編、2020年、講談社)をのぞけば、竹村和子、村山敏勝、鈴木みのり、斉藤綾子、菅野優香、溝口彰子、児玉美月といった個々の論者らによる仕事によって、映画におけるジェンダーやセクシュアリティをめぐる権力構造は映画評論を通じて批判的に問い直されてきた。
久保豊 | クィア映画批評を先駆けた石原郁子は、『燃ゆる女の肖像』にみる別離の愛をどう語るのだろうか